他愛ない日々の幸せ

日常の出来事を綴ってみる

父の介護劇場

6月も残すところわずかとなった。(早っっ!)

 

先日は亡き父の誕生日だった。

 

父は、肺がんで亡くなったが、同時に《レビー小体型認知症》も患っていた。

 

主な症状は、記憶障害や理解力・判断力の低下、幻視や幻聴だが、父は幻聴が特に酷かった。

 

耳元ではっきりと聞こえるらしく、まるで誰かと一人二役で会話しているように、寝ているとき以外は、ほとんど独り言をつぶやいていた。

 

そして、その症状の一番の難点は、『頭の中の誰か』が父に指示することだ。

 

その声に指示されるまま、電車で出かけようと駅まで行ったり、家族の誰かが入院していると声がして実際に病院へ行ったり、深夜2時に父の妹(他県に住んでいる)が帰ってきたと家族全員を起こしたり・・・

 

そんな事が日常茶飯事になっていたある日の夜中。

 

父が、二階にいる私を呼ぶ声がして「どうしたの?」と尋ねると・・・

 

 

父:「○○(私の名前)がいないんだけど」

 

私: 自分を指さしながら。

 

  「ここ、ここに居るよ!ほら!!」

 

父: 私を見ているが焦点が合っていない。

 

  「車はあるんだけど、居ないよ」

 

私: 手を挙げて。

 

  「○○はここにいま~す!!」

 

 

すると、1階の部屋にいる娘が起きていたようで・・・

 

爆笑しながら、「お母さんがスッピンだから分からないんじゃない?」

 

長男まで一緒になって爆笑している。

 

ハァ~~~ッ!? (-"-) 

 

・・・と、キレかけたが、いつの間にか父は自分の寝室に戻っていた。

 

母は・・・と言えば、介護疲れで爆睡。

 

 

またある日は、母が父に向ってガミガミと口うるさく言っていた時。(父が黙っているのをいいことに)

 

娘: ブチ切れて、祖母に叫ぶ。

 

  「もう、うるさーーーーーいっっ!!!」

 

父: 助かったといわんばかりに。

 

  「ありがとう・・・」

 

この時も、娘と爆笑した。

 

「爺ちゃん、きっとマジでうるさかったんだろうね~」と・・・

 

娘と長男のおかげで、深刻になっていた父の介護を笑いに変えることができて、どんなに有難かったことか・・・

 

そんな父も、認知症病棟と施設を行ったり来たりしながら、肺がんと認知症を発症してから約7年間の闘病生活の末に、施設で穏やかに眠るように息を引き取った。

 

亡くなる三日前に急に正気になって、たまたまその日に偶然(奇跡的に)お見舞いに集まってくれた家族や親せきに「ありがとうね」とお礼を言えたのだが、『そんなことって本当にあるんだな~』と思ったことを覚えている。

 

父の人生は、どうだったんだろう・・・?

 

幸せだったのかな?

 

 

短気で厳格な父だったので、あまり甘えた記憶も、それほど話したこともなかった(高校2年生の時に、つかみ合いの喧嘩はした (;^_^A)が、認知症になった父はとても可愛かった。

 

もっと、話をすれば良かった・・・

 

 

さあ、次は私が母の介護をする番だ!!

 

無理せず、ぼちぼち頑張るか~ (;^ω^)