何を書けばいいのか・・・?
思いつかない。
書くことはいっぱいあるはずなのに・・・
すごく古い話だが・・・
40年ほど前の若かりし頃(古すぎるだろ!!)、観光バスガイドをしていた時代があった。
県外就職を決めていたのに、『一人っ子は県外に出たら帰ってこない』と、誰かに忠告された両親が猛反対。(誰だ?いらんこと吹き込むヤツは~)
必死に説得するも、許してもらえず急きょ決めたのがバスガイド。
寮があった(これが一番の決め手)ので、祖父母(同居していた)と両親から離れるのには絶好のチャンスだった。
自由を得たと思ったら、寮には当然門限があり、思ったほど自由ではなかったのだが、同年代の女子たちと暮らすのは本当に楽しくて毎日ワクワクしていた。
しかし・・・仕事は超ハードで厳しく。(当たり前だが)
入社したての頃は6か月間の研修期間があり、怖い教官に叱られながら観光地を回る。
案内文を暗記するのも一苦労。(居残りもあった)
初仕事は、高校の遠足だった。
ガチガチに緊張していて、ほとんど記憶にない。
一番印象に残っているのは、外国人観光客を案内する仕事。
約一週間かけて各地を巡る。
案内といっても、話すのはその国の添乗員で、私は歌を唄うのがメイン。(英語は苦手で、簡単な会話しかできなかった(;^ω^))
当時の外国人観光客は、ほとんど香港の方で(私が働いていた地域では)、他にはシンガポールやインドの方など。
皆さん富裕層の方たちだったと記憶している。
添乗員から簡単な広東語を教えてもらって、『行ってらっしゃい』や『おかえりなさい』『ありがとうございます』など、広東語でお客さんに挨拶すると、喜んで頂けることが嬉しくて、もう仕事という感覚ではなく、楽しんでいた気がする。
しかしその後、たびたび持病の喘息の発作が出るようになり、残念ながら2年半で辞めることになった。
辛いことも沢山あったが、今は楽しかった事しか思い出さない。
中学校の修学旅行や保育園の遠足、一番ビックリしたのは、シンガポールのお客さんから
「○○さん(私)をシンガポールに連れて帰る」(添乗員に訳してもらった)
と言われたこと。
運転手から「行け!行け!連れて行ってもらえ」と、冷やかされた記憶が蘇る。(-_-;)
そして、辞めてからも暫くは「どうしよう!案内文を思い出せない!!!」と焦る夢を見ていた(笑)
今思い返すと、なかなか体験できない貴重な経験だったと思う。
それにしても・・・
こんな大昔の話を、読んでくださる方がいらっしゃったら、感謝しかないです。
皆さん、いつもありがとうございます。
暇つぶしにでもなれば、幸いです。
あぁ・・・日をまたいでしまった (´;ω;`)
おやすみなさい(-_-)zzz